アインシュタインはドイツ生まれの天才物理学者である。
特殊相対性理論や一般相対性理論などで有名なアインシュタインだが、彼が提唱、解明した理論や定理は他にもたくさんあり、1921年にはノーベル物理学賞を受賞している。
物理学者として多くの優れた業績を残したアインシュタインは従来の物理学の認識を根本から変えたと言われており、「20世紀最高の物理学者」などと呼ばれる事もあるそうだ。
さて、今回はこのように物理学者アインシュタインについて私が知っている事や調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。
もくじ
アインシュタインの基本情報
先ずは生誕や死没、身長、出身地などアインシュタインに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。
・名前:アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
・生誕:1879年3月14日ドイツ
・死没:1955年4月18日アメリカ(76歳没)
・死因:腹部大動脈瘤破裂
・墓所:遺言によって散骨されたので墓はない
・身長:175センチメートル
・出身校:チューリッヒ工科大学、チューリッヒ大学
・性格:探求心が強い、
・配偶者:ミレヴァ・マリッチ(1903~1919年)エルザ・レーベンタール(1919~1936年、死別1)
・子供:リーゼル・アインシュタイン(長女)、ハンス・アルベルト・アインシュタイン(長男)、エドゥアルト・アインシュタイン(次男)
アインシュタインにまつわる話
物理学と言うと、私たちのような一般人からすれば退屈な分野の学問に感じてしまいがちだが、「20世紀最高の物理学者」アルベルト・アインシュタインの辿った人生はとても興味深い。
そこで、ここではアインシュタインにまつわる話を幾つか紹介していく。
ナチス・ドイツとアインシュタイン
1932年にアインシュタインは3度目のアメリカ訪問をするために母国ドイツを発ったそうだが、その翌年にナチスが政権を獲得し、ユダヤ人への迫害が加速したので、ユダヤ系であるアインシュタインはナチスの迫害を恐れてドイツに戻る事はなかったと言われている。
原子爆弾とアインシュタイン
1935年にアメリカでの永住権を取得したアインシュタインは1939年に当時のアメリカの大統領であったフランクリン・ルーズベルトに「原子力とその軍事利用」に関する手紙を送ったそうだ。
これが後の原子爆弾の開発プロジェクト「マンハッタン計画」へと繋がり、1945年の広島と長崎の悲劇へと繋がったと言われている。
なお、アインシュタイン自身は原爆投下を提唱した訳でも擁護していた訳でもないらしく、あくまでも平和主義者としての立場を通したそうだ。
長女リーゼルとアインシュタイン
アインシュタインには最初の妻ミルヴァ・マリッチとの間に出来た娘リーゼルがいた。
リーゼルは第一子であり長女であったが、彼女に関する記録はほとんど残っておらず、分からない事が多いそうだ。
一般的には1902年に生まれ、1903年に死亡または養子に出されたと言われているが真相は謎に包まれたままだ。
アインシュタインの名言集
アインシュタインは物理学だけでなく哲学の研究もしていたので、我々の人生にも活かせるような名言をたくさん残している。
ここでは彼の残した数々の名言の中から私のお気に入りのものを幾つか紹介していく。
・Imagination is more important than knowledge.
(想像力は知識よりも重要だ)
・If you can’t explain it simply, you don’t understand it well enough.
(簡潔に説明出来ないって事は十分に理解していないって事だ)
・Life is like riding a bicycle. To keep your balance you must keep moving.
(人生は自転車に乗るようなものだ。バランスを保つには前に進み続けなければならない)
・I have no special talents. I am only passionately curious.
(私には特別な才能なんかない。あるのは情熱的な好奇心だけだ)
・In the middle of difficulty lies opportunity.
(困難の中にこそチャンスはあるものだ)