ルソーは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの素朴派の画家である。
彼の作品は一見すると未熟で幼稚な印象を受けるが、実際は芸術性が非常に高くピカソやゴーギャン、ルノワールなどの著名な画家も彼の作品に興味を持っていたと言われている。
なお、ルソーは49歳の頃に長年勤めていた税関の仕事を退職し、本格的に制作活動に取り組んだそうで、それまではいわゆる「日曜画家」として活動していたようだ。
実際に彼の代表作のほとんどは税関の仕事を退職した後の50歳代に描かれている。
今回はこのようにルソーについて私が知っている事や調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。
もくじ
ルソーの基本情報
先ずは生誕や死没など、ルソーに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。
・名前:アンリ・ルソー(Henri Rousseau)
・別名:税関吏ルソー(Le Douanier)
・生誕:1844年5月21日、フランス、ラヴァル
・死没:1910年9月2日、フランス、パリ(66歳没)
・死因:肺炎
・墓所:フランス、モンルージュ、パリジアン・ド・バニュ墓地
・性格:真面目、純真、情熱家
・配偶者:クレマンス・ボアタール(1869ー1888年、死別)、ジョゼフィーン・ヌーリー(1898ー1903年、死別)
・子供:アントナイン・ルイーズ・ルソー、ヘンリ・アナトール・ルソー、ジュリア・クレマンス・ルソー、ヘンリ・アナトール・クレメント・ルソー、ジュリア・ルソー
・主な代表作『カーニバルの夜(1886年)』『熱帯嵐のなかのトラ(1891年)』『眠るジプシー女(1897年)』『蛇使いの女(1907年)』.etc.
代表作にまつわる話
『熱帯嵐のなかのトラ(1891年)』
出典 Wikipedia
ルソーの作品には熱帯のジャングルを舞台にしたものが多数あるが、本作『熱帯嵐のなかのトラ』がその第一作であるそうだ。
なお、ルソーはこのような熱帯のジャングルの風景はメキシコ従軍した時の思いでをもとに描いたと称していたそうだが、実際は彼はメキシコへ行った事はなく、パリの植物園でスケッチした植物や写真、雑誌の挿絵などを参考に描いていたと言われている。
『眠るジプシー女(1897年)』
出典 Wikipedia
本作はルソーの作品の中で最も有名なものの一つだ。
砂漠の月光夜のもと眠っている黒人女性と、その様子を見つめているライオンを描いた本作はとても幻想的で美しい。
ルソー本人はこの作品についてこのような説明をしている。
「マンドリン演奏者である放浪中の黒人女性が傍らに水飲み瓶を置き、疲れ果てて深い眠りについている。1匹のライオンが彼女の香りに誘われて来たが、食い殺さない。月明かりの効果でとても詩的な雰囲気になっている。」
『蛇使いの女(1907年)』
出典 Wikipedia
本作はルソーの作品を称賛していた画家のロベール・ド・ローネーの母親から依頼されたものであるそうだ。
一見すると暗く不気味な人物像が本作の不思議な魅力を演出している。
ルソーにまつわる話
ルソーには興味深い話が多い。
そこで今回はルソーにまつわる話を幾つか紹介していく。
兵役
ルソーは高校を卒業後(中退後?)に法律事務所に勤め法律の勉強をしていたが、ささいな偽証をしてしまったそうだ。
そして、その責任から逃れるために軍隊に志願して1863年から1868年まで5年間フランス軍に従事していたと言われている。
ピカソとルソー
当時パリで活動していた若き日の天才パブロ・ピカソはある日路上で売られていたルソーの絵と出合った。
そして、その芸術性の高さに驚き、感銘を受けたピカソはルソーに直接会いに行き、彼を褒め称えるための宴を企画したという。
宴は当時ピカソのアトリエがあったアパート「洗濯船」で行われ、そこには画家や詩人など、芸術に携わる人が数多く招待されており、ルソーの名前はこうして美術業界の間に広まっていったそうだ。
なお、この宴の僅か1~2年後にルソーは肺炎により亡くなっている。
作風
ルソーの作風は非常に独特のものだ。
風景などは遠近感がなく、人物はほとんど真正面か真横向きで描かれている。
冒頭でも言ったが、このような作風で描かれたルソーの作品は一見すると未熟で幼稚な印象を受けるが、実際は芸術性が非常に高く、19世紀末から20世紀初めという時期に、キュビスムやシュルレアリスムを先取りしたような独創的な絵画世界を作り出したと言われている。