詩「老猫」

うちで飼っている猫は今年で十八歳になる老猫だ。

俺が中学生の頃に拾ってきてから今日までずっと一緒にいる。

と、言う事はつまり、この猫と俺は青春を共にしてきたという事だ。

でも、正直言って俺はこいつがあまり好きではなかった。

こまめに掃除しないと、部屋が年中毛だらけになるし、さかりの時期はニャーニャーうるさいし、気に入らない事があると、そこらじゅうにおしっこするし、俺が料理を作っている時に必ずと言っていいほどうんこするし。

とにかく、俺はこいつがあまり好きではなかった。

何度も捨てようかと思ったけど、でも、こっちが捨てようと思ったタイミングでいつもこいつは足元にすりよって甘えてくる。

なんてあざといやつだ、とは思うが、俺も人の子、そんな風に甘えられると、捨てるなんて事は出来なくなるってもんだ。

そんなこんなでもう十八年。

最近めっきり弱ってしまって、いつも足元がふらついている。

鳴き声もか細くなって、いつ死んでもおかしくない状態だ。

毛づくろいする元気もないのか、いつも体中にほこりがついていて汚い。

だから最近は俺が代わりにこいつの毛づくろいをしてやってるんだけど、そうするとこの老猫は弱々しく喉をならして気持ちよさそうに目を閉じるんだ。

「あぁ、俺、本当はこいつの事が大好きだったんだなぁ」と気づくのはそういう瞬間だ。

もうすぐ会えなくなると思うと悲しくてやりきれない気持ちになる。

でも「宇宙が一巡して時間が戻ればもう一度こいつに出会って一緒に過ごせるかも知れない」と、思うとなんとかやり過ごせるような気がするんだよな。

その時は、またあの寂れた公園の茂みの中で、俺を呼んで元気に鳴いてほしい。

そしたら、必ず俺がまた、お前を拾ってやるから

何度でも拾ってやるから

動画版(YouTube)

https://youtu.be/b_Dwfa_doRM

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