芸術家 ピカソについて

ピカソはスペインで生まれ、主にフランスで活躍した天才芸術家だ。

また、彼は早熟の天才と言われるほど、若い内から才能を開花させた芸術家(主に画家)であり、生涯で制作した作品の数は人類史上最多であるそうだ。

今回はそんなピカソについて私が知っている事、調べた事などを私の考察なども交えながら紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。





ピカソの基本情報

先ずは生誕や死没、身長、出身地などピカソに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。

・名前:パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)

・生誕:1881年10月25日スペイン王国・マラガ

・死没:1973年4月8日フランス・ムージャン(91歳没)

・身長:163センチメートル

・配偶者:オルガ・コクローヴァ(1918年~1955年)ジャクリーヌ・ロック(1961年~1973年)

・子供:長男パウロ、次男クロード、長女マヤ、次女パロマ

・主な代表作:「泣く女」「ゲルニカ」「アヴィニョンの娘たち」「老いたギター弾き」「自画像」など

・性格:傲慢ごうまん、女好き、情熱的、頑固、変り者

・死因:急性肺水腫による窒息死


逸話

ピカソに関する逸話は数多く存在するが、ここでは個人的に印象に残っているものを3つ紹介する。

・父親

ピカソの父親ホセ・ルイスも画家(美術教師)であったのだが、当時まだ12~13歳だったピカソに絵を描く道具一式を譲り自ら描く事をやめたそうだ。

一説によるとその理由は少年ながら自分を越えた息子への賞賛が原因と言われている。

・ファン

これは事実かどうか分からないが、ある時ピカソが道を歩いていると一枚の紙とペンを持った女性が現われピカソに絵を描いて欲しいと言ってきたそうだ。

ピカソは彼女に微笑み30秒ほどで小さいながらも美しい絵を描いて、女性に手渡すとこう言った。

「この絵の価値は100万ドルです」

女性は驚いてこう言った。

「でもあなたはこの絵を描くのに30秒しかかかっていないのですよ?」

ピカソは笑って言った。

「30年と30秒ですよ」

この話はよく、ピカソのプロ意識を称賛する時に良く引き合いに出される話であるが、個人的にはあまり好きな話ではない。

私にはプロ意識というよりはピカソの傲慢さを表す話に思えるからだ。

・モナリザ

1911年の9月にルーヴル美術館からレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナ・リザ」が盗まれたのだが、ピカソは容疑者の1人として逮捕されてしまったそうだ。

一週間ほどで釈放されたそうだが、驚きである。


作風

ピカソはとても長生きした芸術家である。

そして、生まれてから亡くなるまでの91年間のほとんどの時間を芸術家として生きた人なので、当然作風もその時その時の心境や環境などによって大きく変わって来た。

生涯に渡って変化し続けたピカソの作風は一般的に「~の時代」という風に年代毎に分類されているので、ここでは分類されたそれぞれの時代とその当時に描かれた彼の作品を紹介していくので参考にして欲しい。

・青の時代-1901年~1904年

この時代のピカソは「盲人の食事」「貧しき食事」「うずくまる女性と子供」「老いたギター弾き」など、社会の底辺を生きる人々(盲人や娼婦、乞食など)を題材にした作品を数多く手がけた。

ほとんどの作品は青が基調に用いられており、全体的にもの悲しいような切ないような作風に仕上がっている。

「老いたギター弾き1903~1904年」

出典 Wikipedia

薔薇色ばらいろの時代ー1904年~1906年

この時代のピカソの作品の特徴は全体的に明るい印象だという事だ。

この頃になるとピカソの作品は青を基調とした作品から徐々に明るい色を基調とした作品へと変わり、全体的にもの悲しい雰囲気だった作品は全体的に明るい雰囲気に変わっていった。

描く対象も娼婦や乞食、盲人などの社会の底辺を生きる人々からサーカスの芸人や道化師、軽作業員などに変わっていった。

なお、一般的にフェルナンド・オリヴィエという恋人が出来た事で作風が明るくなったと言われている。

また、この頃に描いた作品には「玉乗りの曲芸師」や「サルタンバンクの家族」などがある。

「サルタンバンクの家族1905年」

出典 Wikipedia

・アフリカ彫刻の時代ー1906年~1908年

この頃のピカソはアフリカ彫刻や古代イベリア彫刻の影響を強く受けており、作品にも大きく表れている。

例えば彼の代表作の一つ「アヴィニョンの娘たち」もこの時代に描かれたものだが、アフリカ彫刻に影響を受けている事は一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

「アヴィニョンの娘たち1907年」

出典 Wikipedia

・キュビスムの時代ー1907年~1921年

この頃のになるとピカソは立体の本質を表現する為に色々な角度から見た物の形を一つの画面に収めて描くようになった。

この技法は立体派またはキュビスムと呼ばれるもので、ピカソとジョルジュブラックによって創始されたと言われている。

なお、細かく分類するとキュビスムの時代だけでも3つに分類出来るのだがここでは省略する。

また、この時代に描かれた作品には「素人闘牛士」や「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」「ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像」などがある。

「ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像1910年」

出典 Wikipedia

・新古典主義の時代ー1917年~1925年

この頃のピカソの作品はキュビスムと新古典主義が融合したような作風で、全体的に重量感のあるどっしりとした彫刻のような身体大きな手足などが特徴である。

この時代に描かれた代表作は「海辺を走る二人の女」や「大きな浴女よくじょ」「座って足を乾かす裸婦」などである。

「座って足を乾かす裸婦1921年」

出典 Wikipedia

・シュルレアリスム(超現実主義)の時代ー1925年~1972年

この頃のピカソは超現実主義者たちに影響を受けており、人物や動物などを非現実的な形態に変えて描くようになっていた。

この時代に描かれた代表作には「三人のダンサー」や「画家とモデル」などがある。

そして、1937年にピカソの代名詞とも言える名作「ゲルニカ」と「泣く女」を完成させている。

「ゲルニカ1937年」

出典 Wikipedia

「泣く女1937年」

出典 Wikipedia

ちなみに、1947年からは陶芸家としても活動していたそうだ。





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