短編小説「血塗られらた城」第一章 導かれた男

導かれた男

「ザク ザク ザク」

1993年10月、夕暮れ時のある日、黄金色に染まった空の下、男が1人、大きな大きな屋敷林を歩いていた。

見た目はまだ若く、背は170cmくらいでやや細身、髪はボサボサで長い間手入れをした様子は無かった。

荷物はリュックサック一つ、と言っても男はそれを両肩に背負う訳ではなく「これが俺の流儀さ」とでも言う様に、持ち手を掴み、片方の肩にかけていた。

彼の履いていたブーツはボロボロで底から靴下が見えそうなほど磨り減っていた。

一目には帰る家の無いホームレスのようにも見える男だが、どうやら旅の途中だったらしい。

そして、男がどういった経緯でこの場所へやって来たのかは今となっては分からないが、その時彼は一歩一歩確実にそこへ向かっていた。

あの城へ……

屋敷林を抜けると男の目の前に大きな城が建っていた。

城を見上げる男、夕日を背にしたその城の庭園は薄暗く物悲しげな感じがした。

物音一つ城の中から聞こえてこない。

耳を澄ませば、裏に流れる大きな川の水音が聞こえてくる。

それほどにそこは静かだった。

待っていても誰かが出てくる気配はない。

すると男は城との距離を縮め始めた。

「ドン ドン」

廃城である事はすぐに分かったが、もしかしたらを考え一応扉を叩く男。

やはり返事は無く、そこは無人の城。

「ギギ ギ ギィー」

さび付いた大きな扉を開ける男。

「!……….」

中に入った男は先ずそのエントランスホールの大きさに驚いた。

「野球が出来るな」

彼は1人そうつぶやくと軽く微笑を浮かべた。

「とりあえず歩いてみるか」

男は城を散策し始めた。

…………1時間後

城内に入ってから既に1時間が過ぎていたが彼は城の半分もまだ回っていなかった。

そこは本当に大きな城だった。

そしてその廊下、それは先がかすんで見えるほどに長く、永遠に続くんじゃないかとも思えるほどだった。

「カツン カツン カツン」

辺りが静かだと虫の鳴き声もオーケストラの大演奏のように聴こえるというが、本当にその通りだ。

無人の城に鳴り響く男の足音はとても大きく感じた……

男が廊下を歩いていると時折窓に反射した夕日の光が彼の顔を捉え、表情を歪ませた。

……………………..!?

夕日の光?

その時男はかすかなざわめきを胸に感じた。

城に入る前、確かにそこは黄金色に染まった見事な空が天をついていた。

しかしそれは1時間以上も前の話、にも関わらず太陽は沈まずに踏みとどまっている。

なぜ?場所柄の問題か?それとも?

色んな考えが男の脳裏をよぎった。

城に一歩足を踏み入れた時、冒険に出かけるような、童心に返ったかのようなわくわくする高揚感を感じたが、その時男が感じていたのは得体の知れない不安、胸のざわめきだけだった。

「グゥ~ ウゥゥ グゥ~ ウゥゥ」

「!?」

その時、男の不安に追い討ちをかけるかのように、何かのうなり声?のようなものが廊下の左手側の部屋、扉の奥から聞こえて来た。

すぐさま近くにあったその部屋の窓を覗きこんだ男だったが、内側にはカーテンが取り付けられており、中を確認する事が出来なかった。

確かめるには部屋へ入るしかない……

行くべきか、引くべきか、男は全神経を集中させて考えていた。

扉の奥へと踏み入れば、見た事もないような恐ろしい化け物が現れて、頭を食いちぎられるかも知れない。

かと言って、このまま何も確かめずに引けば、しばらくは安心して眠る事が出来なくなるだろう………………….

やがて男は覚悟を決め、恐る恐るドアノブへ手を伸ばし始めた。

小さな火種は放っておけばやがて取り返しのつかない大きな惨事になり得る事を彼は知っていたのだろう。

「ガチャ…ギギ..ギィー…….」

さび付いたドアは不快な音を発しながら開き始めた。

隙間からイスやテーブル、ミイラ化した残飯などが見えた。

どうやらそこは食堂のようだった。

食堂?そういえば一昨日から水しか口にしていないな。

一瞬男の頭に他愛も無い事が浮かんだが、次の瞬間、ドアの隙間から急に漂い出した血の生臭い香りが男の鼻を突き、彼の緊張を一気に押し上げた。

化け物め、来るなら来い!とばかりに男は扉を前方に蹴り上げ、部屋へ飛び込んだ。

「!?」

犬?

うなり声の主は犬だった。

化け物じゃなくて男がほっとしたかだって?

とんでもない、その犬を見た時男の背筋は凍りついたはずだ。

なぜなら犬の首にはずっしりとした斧が食い込んでいたのだから。

余りの唐突な展開に男は心底恐怖、困惑した。

一体誰が、なぜこんな事を….

犬「クゥーン クゥーン スピー スピー」

そうだ、まずはこいつを何とかしてやらないと。

男は一旦恐怖をしまい込み、犬の方へとゆっくり近づいて行った。

「グッグッグ」抜けない……

結構な力でやったのにぴくりともしない。

どうやら斧は骨まで達しているようだ…..全く酷い事をしやがる。

男は腰を入れ力の限り柄を握りしめ、体を起こし斧を引き抜いた。

「プシャー」

刃が犬の首から離れると同時にそこから赤い噴水がしぶきを上げ男の全身を血に染めた。

「ドクン……ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ」

無人の城、静寂の中、鳴り響く大きな鼓動音。

血を浴びた瞬間、その時恐怖はより現実味を帯び、男に重くのしかかった。

犬はどうなったかって?

…..死んだよ、斧を抜いてすぐに……

皮肉な事に首に食い込んだ斧が出血を防いで犬の命を繋いでいたんだな…

最も苦しみを長引かせていたに過ぎないんだが…

しばらくその場に立ちつくした男は何かを思い立ったように犬の亡骸を後にし、ふらふらと廊下側の窓に向かっていった。

そしてぶら下がった重苦しいカーテンを開け、虚ろな顔で沈まぬ夕日を眺めた。

沈まないってのは不気味だがそれでも陽の光はやっぱいいもんだ。

気分が落ち着いた男は現実と向き合う為に犬の方へくるりと体を向けた。

………………….!?

いない

犬がいない。

そこにいるはずの犬がいない。

ていうか斧も無ければ周りに飛び散ったはずの血痕すらない。

果たしてこれは現実なのかそれとも….

などと考えている余裕はその時の男にはなく、すぐさま食堂を出て、来た道を全速力で駆け戻った。

走って走ってようやく城のエントランスにやってくると男の頭に不吉な事がよぎった。

「ホラー映画だとここで外から鍵がかかってドアが開かないってのがお決まりのパターンだよな……」

そして扉の手前にやって来ると男は一度立ち止まって目をつぶり、大きな深呼吸をした。

「よし、いくぜ」

男は扉に両手を押し付け勢いよく前に押した。

「バン」

不安をよそに意外にも扉は簡単に開いた。

そして男は屋敷を出ると振り返る事もせずに人の温もりを求め一番近くの町へと急いで向かった。

町へ着いた男はすぐにその異変に気がついた。

先日訪れた際は人で賑わっていた市場がまるで放課後の教室のように静まり返っていた。

男は半ば諦めつつも静寂に包まれた町の中を人を求めてさ迷った。

「ザァーザァーザァーザァー」

町の中心へやって来るとそこでは水が流れているような大きな音が聞こえて来た。

噴水か?

そういや先日訪れた時も確かにそこには噴水があったが、その時は周りで水遊びをする子供達のキラキラした声が水の流れる轟音をかき消していた。

それが今はこんなにも大きな音を立てている…….

もともと人付き合いが得意でなかった彼はいつも1人だった。

それが心地良かったし、それで良いと思っていた。

だけど今はそんな事は微塵も思わない、今は誰でも良いから目の前に現れて欲しかった…….

一体これはなんなんだ?

沈まない太陽、無人の城、犬、斧、そして消えた町の住人達。

何一つ手がかりも無いまま男は考えをめぐらせ、なんとかこの状況を抜け出そうとしていた。

考えても考えても理性的な答えは一つも思い浮かばない。

行き詰った男はその場に座り込んで頭を抱えた。

そんな時、男はおもむろにカバンの中をごそごそとあさり始めた。

そして財布を手に取ると中に入れてあった一枚の写真を取り出し、その写真に釘付けになった。

その時一瞬彼の顔は優しくほころび、次の瞬間には何かを決意したような強い意志が表情に表れていた。

その写真がなんの写真だったのかは私には分からない。

家族?友人?恋人?もしかしたら愛犬の写真だったのかもしれない。

だがそんな事はどうでもいい。

男は大事な何かを取り戻したようだった……..

立ち上がり再び歩き出した男、表情は幾分よくなったが、足取りは重そうだった。

無理も無い、きっと凄く疲れていたのだろう。

体を休められる場所を探して男は住宅街に入った。

そこで男はどうせならとしばらく自分好みの家を探して歩きまわったが、見つからずとうとう住宅街の端っこまでやって来てしまった。

そこで男は一本の小道が町の外へと続いているのを発見し、好奇心に連れられて彼は小道が導くままに歩を進めた。

小道は町外れの丘の上へと続いており、丘の一番上には一軒の大きな家が建っていて、男はその家を休息の場とした。

玄関の鍵は開いており、住人の物と思われる靴が綺麗に並べられていた。

家の中の様子はあたかもそこに住んで居た者達は突然神隠しにでもあったかのようだった。

ダイニングテーブルには食べかけのパンとスープが乱雑に置かれ、庭には洗濯物が干されたままだった。

リビングには立派な暖炉があり、その上の炉棚には一組の若い夫婦の写真がいくつも飾ってあった(夫は釣りと銃が趣味で、妻はガーデニングと水玉の服が好きなようだ)

そして奥には大きな窓が二つあり、そこから夕日が差し込んでリビングを赤みがかったオレンジ色に染めていた。

疲れていた男はリビングに置かれた1人掛けのソファーに倒れこむように座ると遥か遠くにそびえる「あの城」を眺めながらウトウトしてそのまま深い眠りについた。

目が覚めると男は先ずダイニングテーブルの上の食器や残飯を綺麗に片付け、洗濯物を取り込み丁寧にたたみ始めた(きっと宿代の代わりに善意を施したつもりだったのだろう)

一通りの家事を済ますと男は冷蔵庫の中から卵とベーコンを取り出しキッチンで手際よく調理を始めた。

朝食(外は夕日に包まれているが)が完成し、片付いたテーブルの上で食事を済ませると男はコーヒーを淹れてリビングのソファーに再び座った。

一眠りして頭がすっきりしたのだろう、男は冷静さを十分に取り戻した様子だった。

静かに、遠くにそびえるあの屋敷を眺めながら淹れたてのコーヒーを楽しむ彼の目には何かこう静かな闘志のようなものが見て取れた。

………….15分後

男はソファーから立ち上がり、少し名残惜しそうにその家を後にした。

男がその後どこに向かったかって?

決まってるだろう?

あの城だよ。

彼はこの一連の不可解な現象の原因がすべてそこにあるという事を知っていたのさ。

ともかく男はその屋敷に向かって再び歩き始めた……

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