もくじ
日本は先進国の中ではトップクラスに自殺率が高い国だそうです。
最近では有名人の方の自殺なども目立っており、社会的な問題になっていますね。
Twitterなどでは自殺実況のようなものをツイートする方もいて、実際に亡くなってしまったケースも多いみたいです。
なぜ自ら死を選ぶのか?
私がぱっと思いつく自殺の理由は「お金」「イジメ」「身内の死などからくる精神的な苦痛」などですが、これは自殺者本人にしか到底理解できない事であり、周りの人間や第三者が勝手な憶測で「自殺の理由」を議論するのは無意味だと思います。
もちろん、自殺を未然に防ぐ目的で一般的な「自殺の理由」を追求するのは重要な事だとは思いますが、もう既に亡くなってしまった方の死を惜しんで、その方の「自殺の理由」を議論するのは時間の無駄です。
どんな理由があろうと、例えその理由を知る事が出来ようと、死んだ人間は帰って来ません。
残された人に出来る事は、亡くなってしまった人の事を忘れない事くらいです。
子供の頃にみたなんかのアニメか映画のセリフだったと思うんですけど、「人はいつ死ぬか。それは人に忘れられた時だ」みたいなセリフがあって、結構印象に残ってます。
本当にその通りだと思います。
もともと私達人間は誰かに存在を認められて(認知されて)初めて生きていると言えます。
例えば、私が生まれた瞬間からどこかの穴倉で一人で生活していたとします。
誰と会った事もなく、誰と会話をした事もなければ、自分の姿を見た事もない。
恐らく私は自分が何者なのかを知る事なく、また、自分が本当に生きているのかさえ分からないまま一生を過ごすでしょう。
それは人間として生きているとは言えません。
他人の頭の中に存在してこそ「人間」であると、私は思います。
誰かが自分の事を忘れずに覚えていてくれて、ふとした時に思い出して微笑んでくれるならそれは何よりも嬉しい事だと思います。
だからこそ昔の人は自分の名誉や家名を何よりも重んじ、自分の名が歴史に刻まれる事を強く願ったのでしょう。
みんな、自分の事を覚えていて欲しかったんですよ。
要するに、自殺してしまった人に対して出来る最小にして最大の弔いは「忘れずにいる事」であり、それは決して「自殺の理由の追求」ではないという事です。
ましてや後追い自殺なんてものではありません。
もちろんこれは自殺してしまった人に対してだけでなく、病気で亡くなった人や、事故や事件に巻き込まれて亡くなってしまった人全員に当てはまる事です。
何が原因にせよ、亡くなってしまった人に対して出来る最小にして最大限の弔いは「忘れずにいる事」です。
なんかここまで哲学者っぽい口ぶりで偉そうに話して来ましたが、実際に私はまだ親しい身内や大事な人を亡くした経験はありません。
ただ、私は若い頃にうつ病を経験し、自殺する一歩手前まで行ったので「死」というものに対して普通の人よりも深い考えを持っています。
あれは21歳の冬の事でした。
私はその年、宅地建物取引士資格試験を受けていて、その結果が出るのを待っていました。
確か、試験は10月の中旬に行われて、その大凡2カ月後の12月の下旬に結果が出たんですけど、半年間みっちり勉強したおかげで合格していました。
私はとても喜んだのですが、合格発表からわずか1~2週間後にうつ病になってしまいました。
今思えば合格して気が抜けてしまったのと、その後の人生に対する漠然な不安感がきっかけだったと思うのですが、当時の私には自分がなぜうつ病になってしまったのか全く分かりませんでした。
初めは何となく気分が優れないな程度に考えていたんですけど、しばらくすると不眠になってしまい、「あぁ、これはいつもの気分の落ち込みとは違うな」と実感するようになりました。
その後の3~4カ月は本当に地獄でした。
眠れないというのは何よりも恐ろしい事だとその時初めて気づきました。
頭も体も疲れていて、何も考えたくないし、何もしたくないのに、眠ろうとして目を閉じると何かこう、暗闇の中にさらに真っ暗な丸いブラックホールのような空間が現れて自分が飲み込まれてしまうような感覚に陥ってしまい、全く眠れないという状態がしばらく続きました。
人間眠れず、疲労が蓄積されると健康な人でもどんどんネガティブになりますが、私の場合はもう本当に死ぬ事しか考えられないというような感じでしたね。
24時間同じソファーの上に座って、スマホで「楽に死ぬ方法」や「自殺した人」などを検索しては不毛な時間を過ごしました。
もう本当に、1秒だって気の休まる時間はなくて、「今すぐに消えたい」という思いに支配されていました。
これは余談ですが、人間て寝なくても死なないらしいですね。
今は禁止されているのですが、昔のギネスの項目に「不眠状態を競う」というものがあって、2~3週間全く眠らなくても人は死なないというのが実証されました。
でも、不眠状態が長く続くと幻覚を見てトリップしてしまう事があって、危険だという事でその項目は禁止になりました。
ちなみに、私の場合は3カ月ほど不眠が続きましたが、完全な不眠ではなく、一日のうちに数秒~数分間だけ眠っていました。
眠るというよりは「意識を失う」という感覚に近くて、自分としてはソファーに座って携帯を見ていたのに、気が付いたら時間が数秒~数分飛んでいたというような感じでした。
実は私、幻覚も見ました。
不眠状態が続いて1カ月を過ぎた辺りから幻聴が聞こえるようになって、2カ月目くらいでついに幻覚を見るようになったんです。
これ多分経験した人にしか分からないと思うんですけど、幻聴や幻覚って本当に現実と区別がつかないんですよ。
幻聴は本当に耳元で誰かが話しているような感覚だし、幻覚は目の前に本当に誰かが居るような感覚でしたね。
でも、今思い出すと笑っちゃうんですけど、その幻聴も幻覚も私を励ますような内容だったんです。
幻聴も幻覚も脳が作り出すものですから、要は私は自分で自分を応援していたという事になるんですよ。
ある時は幼少期の私が目の前に現れて、私を激励し、またある時は中学生の頃に好きだった女の子が現れて私に愛の告白をしました。
一般的に、精神が病んでいる時に経験する幻聴や幻覚っていうのはネガティブなものが多いと聞くのですが、私の場合は私を元気づけるようなものばかりでした。
実際に、幻覚を見るようになってから少しずつですが私の気持ちは前向きになっていきました。
そして、うつ病発症から5カ月目に私は中卒という当時の自分のコンプレックスに立ち向かうために、高校卒業認定試験というものを受ける決意をしたんです。
とは言っても5カ月目の段階ではまだ完全にうつ病を克服した訳ではありませんでしたので、1日の内に集中して勉強が出来る時間はわずか5分程度でした。
その他の時間の過ごし方はそれまでと全く同じで、ソファーに座ってネガティブな事ばかりスマホで検索していましたが、でも、その後は時間の経過と共にうつ病の症状は少しずつ改善していきました。
1日の勉強時間は5分から10分、10分から20分、20分から30分、一度に眠れる時間は数分から十数分に増えていき、うつ病発症から7カ月もするとオンラインゲームで遊べるくらいに回復していましたが、それほど回復しても希死観念は常にありました。
でも、それはネガティブなものではなくて「どうせ死ぬなら自分の出来る事全部やってから死のう」や「納得して死ぬために、精一杯やってみよう」というようなちょっとポジティブなものに変わっていました。
ちなみに、私がうつ期にやっていたオンラインゲームは「ダークソウルズ2」です。
このゲーム世界的に有名なので今更説明するまでもないと思いますが、とにかくハマりましたね。
ダークファンタジーものなんですけど、幻想的な雰囲気もあって心が闇に浸食されていた当時の私にはぴったりの作品でした。
と、まあこれが私のうつ病体験なんですけど、実は私病院で「うつ病」という診断を受けた訳ではないんですよ。
幻聴が聞こえ出した頃に一回だけ病院の受付までは行ったんですけど、その病院は事前予約が必要で、「予約を取ってからまたお越しください」と言われてしまい、診察が受けられなかったんです。
うつ病に詳しい方なら知っていると思うのですが、うつ病になると基本的に何もしたくなくなるんですよ。
だから、「病院に行こう!」と決めて、実際に赴いただけで心身ともに疲労困憊で、とてもじゃないがもう一度行く気にはなれなかったですね。
でも診断を受けていたら間違いなく何かしらの精神疾患は認められていたと思いますよ。
私は医者でもないし、自分の経験した以上の事は分かりませんが、自殺を本気で考え始めたら病院に行くべきだと思いますね。
私の場合も、母に説得されて病院に行く決意をしたという経緯がありますので、やっぱり家族の方や身内の方が積極的にならないと駄目なんですよね。
まあ、病院によっては金儲けオンリーの無責任な診断を下すところもあるみたいなので、慎重にならないと病状が悪化する可能性もありますけど、いずれにせよ自殺してしまうよりはマシだと思いますよ。
私は今この記事を書いている段階でも、未だに希死観念はありますけど、それでもやっぱり「どうせ死ぬなら自分の出来る事全部やってから死のう」という心持ちです。
貧乏人も金持ちも、イケメンもブサイクも、幸せな人も不幸な人も、人間いつか絶対死ぬんです。
今苦しんでいる人も、その苦しみには必ず終わりが来ます。
だったら一生懸命生きましょうよ。
底辺の底辺でも、泥にまみれようと、天命を全うしましょうよ。
いつか必ず訪れる人生の終焉に悔いを残さないように。
死ぬその時に自分は精一杯やったと思えるように。
あ、でも身体的な苦痛に悩まされている人や不治の病に侵されていて、日常生活も満足に送れないほど苦しんでいる人などは別だと思っています。
そういう人達に「頑張れ」や「天命を全うしろ」というのはあまりにも酷だと思いますし、無責任だと思います。
スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、アメリカの一部の州ではそのような方たちに「安楽死」を認めている場合もあるそうです。
もちろん、医師による厳しい審査のようなものはあるかとは思いますが、それでもオランダなどでは国内の死因の約4%ほどが「安楽死」にあたるそうで、相当数の方が実際に安楽死によって生涯の幕を閉じているそうです。
「安楽死」や「尊厳死」というのは宗教的な観点から見ても社会的な観点から見ても非常にデリケートで難しい問題ではありますが、私個人の考えとしては日本でも今すぐにでも導入すべき制度だと思っています。
ただ、精神的な疾患やうつ病にも「安楽死」や「尊厳死」を認めてしまうと、社会が機能しなくなるレベルで人が安楽死によって亡くなってしまう可能性もあるので現実的ではないなと思いますね。
基本的に自殺ってどんな方法を選んでも精神的、特に肉体的な苦痛が伴います。
だからこそ、今の自殺率に抑えられているのであって、もし精神的または肉体的な苦痛がなく、誰でも眠るように楽に死ねるとなったら、先ず間違いなく日本の死因第一は「安楽死」になるでしょう。
特に、最近は若い世代の自殺が増えて来ていますから、もしも日本で精神疾患者やうつ病患者にも「安楽死」を認めてしまうと少子高齢化がとんでもない速度で進行していって、多分2~30年以内に日本は諸外国に取り込まれるでしょう。
働き手がいなくなったら政府は破綻しますからね。
ちょっと話がそれましたが、私が言いたい事は精神的な苦痛は本当に辛いけど、希望や救いは必ずあるという事です。
そんな事は分かっていてもその希望や救いを待ちきれずに、または待てるような心境にないから自殺してしまうというのが現実なんでしょうけど、でもやっぱり死なないで欲しいです。
私は基本的には人間嫌いですが、それでも以前の私と同じように人生に絶望して涙を流しながら自殺する人がいると考えただけで胸が締め付けられるような気持ちになります。
この世の中本当に不平等で、努力しても努力しても幸せになれないなんて事はよくあります。
それでも、生涯諦めずに努力のくさびを打ち続ければ、最後に「自分はやり切った」と思いながら良い顔で死ねると私は信じています。
この先、良くも悪くも何が起こるか分かりませんが、今この時、この地球で生きる全ての人々、兄弟姉妹に私は言いたい。
「生きろ」
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