もくじ
今は夏真っ盛りの7月後半。
夏と言えば恋愛の季節、海やプール、遊園地などのレジャースポットに行けばどこを見てもカップルや子供連れの家族ばかり。
おひとり様には少しもの寂しい季節ですよね。
人間も動物である以上、どこまで行ってもその存在理由の最たるところは「子孫繁栄」です。
なので、あんまりにも「おひとり様」の期間が長いと「自分は何のために生きているのだろうか?」と言うような生物学的な悩みに苦しむ人も多いかと思います。
ちょっと極論過ぎるかも知れませんが、仕事、食事、睡眠などの日常生活のありとあらゆる行動の全ては「子孫繁栄」に繋がっていると考えても良いのではないでしょうか。
もちろん、それらの行動のほとんどは直接的には自分自身の生命活動の維持に向けられたものですが、間接的には子孫繁栄に向けられた行動であるとも言えます。
ではパートナーのいない「おひとり様」は生物として終わっているのでしょうか?
生物としては分かりませんが「人間」としては全然終わっていない、まだまだこれからだと思いますね。
というより、例えパートナーがいても何らかの事情や思想から「子供は作らない」と決めているカップルもいるので、パートナーの有無は生物学的な存在価値の判断材料にはならないのではないでしょうか。
私達人間は脳みそが他の動物と比較して極端に進化しているので、子孫繁栄以外にも生きる理由や意義を見出す事が出来ます。
それは仕事だったり、趣味だったりするかも知れませんが、なんにせよ人生「子孫繁栄」だけが絶対的正義という訳ではありません。
パートナーがいなくても、子供がいなくても人生を豊かにする方法はいくらでもあります。
とは言ってもですよ。
それは建前で、世の中の99%の人がいくつになっても「素敵な異性に出会いたい」と思っている事は動かしようもない事実です。
子供を作る能力を失った老人であっても出会いを求めている方は大勢いますからね。
例え「一人であっても人生に意味を見出せる」と頭では分かっていても、結局のところ誰かと寄り添い合いたいというのが人情です。
私はそれを否定する気はありませんし、むしろ応援したい心持ちですが、漠然と「モテよう!」と努力する事に対しては「それはどうかな?」と思ってしまいます。
誰か気になる人がいて、その人にアプローチする目的で色々と努力するなら100歩譲って分かりますが、不特定多数の人からモテようと頑張るのは止めた方が良いと思いますよ。
だって、努力してモテたって、それは本来の自分が評価されているという事にはなりませんから。
要は努力して仮面を被ったもう一人の自分がモテているのであって、本来の自分がモテているという訳ではないという事です。
こう言うと、結局どっちも「自分」なんだから同じ事なんじゃないかと考える人もいるかと思います。
確かにどちらも同じ自分なので、「モテればなんでも良い」という言い分も分かりますが、そんな感じで誰かと一緒になってもほぼほぼ上手くいきません。
人間ってどんなに努力してもその人の持つ「本質」ってやつは変えられないんですよね。
なので、努力して被った仮面も時間が経てば必ず外れます。
そのタイミングがいつなのかは分かりませんが、そうなってしまった場合は、努力して手に入れた自分のパートナーも去ってしまう可能性が高いです。
実際に別れるとまでは行かなくても気持ちが離れるという事は十分にあるでしょう。
当然ですね。
なぜなら相手の方は本来の自分に好意を寄せていた訳ではなくて、仮面を被った自分に魅せられていただけなのですから。
もちろん、仮面を外した本来の自分の方がより相手の好みであって、必要以上に上手くいくという事も往々にしてあります。
でも、だったら、初めから努力なんてせずに本来の自分、ありのままの自分でいた方が効率的だとは思いませんか?
単純にセックスがしたい!お金を貢がせたい!という目的で異性にモテたいという場合はそうではないかも知れませんが、純粋に誰かと一緒になりたいという場合は「ありのままの自分」を好きになってくれる人を探す方が良いと思いますよ。
というか、探す事すらしない方が見つかる可能性が高いです。
かく言う私も、物心ついた頃から運命の相手を探しておりました。
当然そんな簡単には見つからず、特に10代の頃は頑張れば頑張るほど運命の相手が遠のいていくような感覚に陥りましたね。
柄じゃないのに街中でナンパとかも頑張ってた時期がありました。
結局なにも上手くいかなくて、誰とも付き合わないまま20代を迎えたんですけど、21歳の時に色々あって鬱病になったんですよ。
まあ1年くらいで元気になったんですけど、そこから人生観が変わって「自分らしく生きよう」「本当に自分のやりたい事だけやろう」となったんです。
それまでは他人の評価を気にしたり、お金持ちになりたかったり、女性からモテモテになりたかったりと煩悩に支配されていたんですけど、鬱病きっかけで私は本来の自分を取り戻し、自分らしく生きる事が出来るようになったんですよ。
分かりやすく言うと、子供の頃に戻ったような感覚ですね。
世間体を気にしたり、異性を意識したりせず、ただひたすらに自分の興味のある事だけを追求するようになったという事です。
今思えば、そこから一気に運命の相手との距離が縮まったように思いますね。
もちろん、自分らしく生きるようになってから直ぐに運命の相手と出会えた訳ではありませんでしたが、自分が「おひとり様」である事に対してネガティブな感情は一切なくなりました。
そんなこんなで色々と気持ちが軽くなった私は当時、以前から興味のあった事を一気に全部やり始めたんです。
ギター、英会話、バイク、粘土工作、絵、ブログなど、もう本当にやりたかった事全部同時にやり始めましたね。
そして、自分の本当にやりたい事を夢中でやっていく中でようやく私は運命の相手に出会う事が出来たんですよ。
具体的に言うと英会話が私と妻を引き合わせてくれたんですけどね。
あれは私が25歳の時でした。
当時私は自分の英語力を飛躍させるために、語学学習アプリを通じて海外在住の方達とスマホで会話をしていたんですけど、その中で妻と出会ったんです。
私も彼女も純粋に語学を勉強したいという思いでしたのでお互いに恋愛感情を抱くまでに結構時間がかかりましたが、いつの頃からかそういう関係になっていましたね。
と、まあこれが私と運命の相手の馴れ初めなのですが、要は私が言いたい事は「もしもあなたが運命の相手と出会って幸せになりたいと本気で思っているのなら不毛な努力は止めて、今は自分の本当にやりたい事に集中した方が良い」という事なんですよ。
私の言っている事が絶対だなんて決して思いませんが、でもその方が可能性が高いと思いますよ。
だって人生って皮肉の塊じゃないですか。
欲しいと思っている時は全く手に入らないのに、忘れた頃に、もう興味がなくなり執着しなくなった頃にふと手に入ったりするような、とにかく思い通りにならない事の方が多い気がします。
どうせ思い通りにならないんだったら自分の好きな事だけして人生楽しんでいた方がよっぽど良いんじゃないでしょうか?
これは私の人生経験から学んだ事ですが、新約聖書の「求めよ、さらば与えられん」はケースバイケースだと思います。
恋愛に関しては特にそれが顕著な気がします。
素敵な異性に出会うために色々と努力しても上手くいかなかったのに、諦めて数年した時にふと出会ってしまうというような素敵な皮肉が恋愛には多いような印象です。
もちろん、お見合いや合コンなどがきっかけで運命の相手に出会って、そこから結婚して幸せに暮らすというケースもあるとは思いますが、非常に稀なケースなんじゃないでしょうか。
いずれにせよ、男女の出会いに躍起になるよりも、自分の道を見つけてそれに全振りした方が人生万事上手くいくような気がします。
その結果もしも運命の相手と巡り会えなかったとしても、自分の好きな事を生涯追求出来ればそれはそれで素晴らしい人生なんじゃないでしょうか。
まあ、10代20代の比較的まだ若い世代の男女にとって異性交際というのは最も関心のあるトピックだと思うので、そんな彼等に自分の本当にやりたい事だけに集中しろと言っても共感を得る事は難しいでしょうけど、30代、40代と年を重ねる毎に私の言った事を心で理解出来るようになると思いますよ。
結局のところ、異性にモテたって、運命の相手に巡り合えたってそれだけじゃ人間幸せになれませんからね。
自分のやりたい事、自分の興味のある事を追求するのが「人間」としての幸せであり、結婚して子供を作る事だけが全てではないと私は思いますよ。
むしろ、「個」として幸せになるにあたり、異性は絶対不可欠な存在ではないとすら思っています。
さすがに天涯孤独では幸せを享受する事は難しいかも知れませんが、時々会って話せる友人の一人でもいれば十分だと私は思いますね。
これはちょっと極端な例かも知れませんが、世の中には長崎真砂弓さんという無人島に一人で何十年にも渡って生活している方もいます。
彼は以前は結婚もしており、お子さんもいらっしゃるそうなのですが、自由を求めて沖縄のある無人島に住み着きそこで一人自由気ままな生活を送っているそうです。
そんな彼が本当に幸せかどうかなんて事は私には分かりませんが、彼の写真や動画を見た時に私は率直に「ああ、この人良い顔してるな」と思いましたね。
イケメンだとかそういう話じゃないですよ。
どんな理由からにせよ、人間一人で無人島で何十年も生活するなんて正気の沙汰ではありません。
そんな事をやってのけるのは確固たる意志だけだと思います。
多分彼は心の底から何を捨ててもその土地その場所その環境で一人で暮らしたいと思っていたのでしょう。
そうやって自分の意志を通し、己の道を進んで行くと、幸せかどうかは別として、彼のように「良い顔」が出来るのだと私は感銘を受けました。
だからと言っちゃなんですが、もう良いじゃないですかモテなくたって。
完全に異性との出会いを諦める必要は全くありませんが、必死になる必要も全くないんですよ。
さっきも言いましたが、人生は皮肉の塊なので、求めれば求めるほど手に入らず、半ば諦めて自分の道を進めば進むほどに気が付いたら色々手に入っているという事が往々にしてあります。
自分自身と良く向き合って己の道をひたすらに突き進んでいれば、あなたにもいつかきっと素敵な出会いがありますよ。
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