幕末の志士 坂本龍馬について



坂本龍馬は江戸時代末期に活躍した土佐藩(高知県)出身の志士である。

彼は薩長同盟さっちょうどうめい成立の立役者にして、倒幕および明治維新に大きく貢献した日本史上最重要人物の一人だ。

彼がいなかったら薩長同盟は成立せず、日本の近代化は数十年遅れていたとまで言われているそうだ。

今回はそんな坂本龍馬について私が知っている事、調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。





坂本龍馬の基本情報

先ずは生誕や死没、身長、出身地など坂本龍馬に関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。

・通称/変名:直陰なおかげ直柔なおなり、龍馬、才谷梅太郎さいたにうめたろうなど

・生誕:1836年1月3日(天保てんぽう7年、高知)

・死没:1867年12月(慶応3年、京都、31歳没)※ちなみに、この年に「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」などで有名な文豪ぶんごう、夏目漱石が生まれている

・死因:斬死ざんし(斬られて亡くなった)

・墓所:京都霊山護国神社きょうとれいざんごこくじんじゃ

・身長:170~180センチメートル

・成し遂げた主な偉業:海援隊の設立、対立する薩摩と長州の仲介

・流派:北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう

・配偶者:楢崎龍ならさきりょう(通称おりょう)

・性格:穏和、おおらか、人に好かれる


薩長同盟

薩長同盟とは幕末の日本において大きな影響力を持っていた薩摩藩と長州藩によって1866年に締結された政治的軍事的同盟である。

当時の日本は黒船(ペリー)の来航により、幕府の脆弱ぜいじゃくさが露見ろけんし、頼りない幕府を倒そうとする運動が加速していたが、幕府側の抵抗や藩同士の対立などもあり倒幕の実現は遅れていた。

そんな中、当該同盟の成立により日本は一気に倒幕に向けて動き出したと言われている。

そして、その同盟成立の主な立役者の一人が坂本龍馬だ。

元々薩摩と長州は考え方が異なり激しく敵対していたらしく、両藩が倒幕に向けて手を組む事は不可能に思われたが、坂本龍馬や同じく土佐藩出身の中岡慎太郎らの仲介、尽力じんりょくによって薩長同盟が成立したそうだ。


暗殺

薩長同盟が締結された翌年の1867年に龍馬と中岡慎太郎は幕府が送り込んだ二人の刺客によって暗殺されてしまったそうだ。

俗にいう「近江屋事件おうみやじけん」である。

事件は京都、河原町通かわはらまちどおりの由緒ある醤油屋(近江屋)で起きたそうで、この事件によって龍馬、慎太郎の他に龍馬の従僕じゅうぼくであった山田藤吉の3名が斬り殺されている。

なお、藤吉は背後からいきなり斬りつけられ、また龍馬と慎太郎は刀を抜く事も出来ないまま斬りつけられたそうだ。

また、実行犯については幕府の組織である京都見廻組きょうとみまわりぐみによるものだという説が有力だと言われている。

事件の詳細については下にWikipediaのリンクを貼っておくのでそちらを参照して欲しい。

近江屋事件 – Wikipedia

ちなみに、事件のあった翌年の1868年についに幕府は倒れ、明治という新時代が始まった。





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