ヘミングウェイは1923年から1961年にかけて活躍した20世紀を代表するアメリカの小説家・詩人の一人である。
とても行動的な作家で、若い時には赤十字の一員として戦地に赴き第一次世界大戦を経験したり、1930年には人民戦線政府側としてスペイン内戦にも積極的に関わったそうだ。
彼の代表作のうち、スペイン内戦を舞台にした恋愛/戦争小説『誰がために鐘は鳴る』や、第一次世界大戦のイタリアを舞台にした恋愛/戦争小説『武器よさらば』などは明らかに自身の戦争経験を元に描かれた作品である。
他にも彼は生涯で4度の結婚と2度の飛行機事故を経験し、最後は散弾銃による自殺を遂げるなど、とても波乱万丈な人生を送ったようだ。
さて、今回はこのようヘミングウェイについて私が知っている事や調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。
もくじ
ヘミングウェイの基本情報
先ずは生誕や死没など、ヘミングウェイに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。
・名前:アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)
・生誕:1899年7月21日、アメリカ合衆国イリノイ州オークパーク
・死没:1961年7月2日、アメリカ合衆国アイダホ州ケッチャム(61歳没)
・死因:散弾銃による自殺
・墓所:アメリカ合衆国アイダホ州ケッチャム、ケッチャム墓地
・身長:182~183センチメートル
・性格:冒険家、ハードボイルド、行動的、衝動的、自然好き、猫好き
・配偶者:エリザベス・ハドリー・リチャードソン(m.1921-1927)、ポーリン・ファイファー(m.1927-1940)、マーサ・ゲルホーン(m.1940-1945)、メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ(m.1946-1961)
・子供:ジャック・ヘミングウェイ(長男)、パトリック・ヘミングウェイ(次男)、グレゴリー・ヘミングウェイ(三男)
・孫:マリエル・ハドリー・ヘミングウェイ(女優)、マーゴ・ルイーズ・ヘミングウェイ(女優、42歳没)
・代表作:『三つの短編と十の詩』(1923年)、『日はまた昇る』(1926年)、『武器よさらば』(1929年)、『誰がために鐘は鳴る』(1940年)、『老人と海』(1952年).etc.
国民的な作家
釣り、狩り、ボクシング、レスリングを愛し、生涯で4回も結婚するなど、ヘミングウェイのライフスタイルは自由奔放で正にアメリカ的であった。
そんな彼のキャラクターは自国のアメリカ人からだけでなく、アメリカ文化に憧れる人々からも愛されていたそうだ。
亡くなった今も、世界中に彼の根強いファンがいるのも納得である。
母親との確執
ヘミングウェイの母親は男の子を望んでおらず、彼は幼少期は母親の愛情に恵まれなかったそうだ。
また、彼女は厳格なクリスチャンであり、自由奔放な息子ヘミングウェイを認める事が出来ず、母子の間には確執が深まり、二人は長い間絶縁状態にあったそうだ。
そして、母子の関係は最後まで修復されず、母親が亡くなった時もヘミングウェイは葬式に出席しなかったという。
二度の飛行機事故
ヘミングウェイは1954年1月23日と同年1月24日の2日間で二度の飛行機事故にあったそうだ。
それ等はヘミングウェイ夫妻がアフリカに狩りをしに行った際に起きた小型飛行機の墜落事故で、一度目の墜落は現地で飛行中に電線に引っかかったのが原因で起こったという。
その際に妻ウェルシュは肋骨を折ってしまったものの、ヘミングウェイは首を捻挫しただけで、パイロットに至っては無傷だったそうだ。
二度目の墜落は捜索隊に救出された後、夫妻と事故を起こしたパイロットを救出するために用意された小型飛行機にて起こったという。
救出機は離陸に失敗して墜落、ヘミングウェイはその衝撃で頭蓋骨を骨折し、また、内臓と脊髄を損傷し、生死をさまよったそうだ。
自殺の多い家系
ヘミングウェイは二度目の飛行機の墜落事故で負った怪我が全快する事はなく、晩年は事故による精神的、肉体的後遺症に悩まされ、以前のように活動的ではなくなっていたという
そして1961年7月2日の早朝にとうとう散弾銃による自殺を遂げてしまったという訳なのだが、実はヘミングウェイの家系は自殺をしてしまったものが多く、父親のクラレンスもまた1928年に拳銃による自殺を遂げている。
さらに、ヘミングウェイの弟レスターや姉のマーセリン、妹のアーシュラも自殺を疑われているそうだ。
また、孫娘で女優のマーゴも抗不安薬の過剰摂取によって自殺を遂げている。
なお、マーゴが亡くなった日は奇しくも35年前に祖父であるヘミングウェイが散弾銃による自殺を遂げてしまった日と被るそうだ。