ウォルト・ディズニーは言わずと知れた20世紀を代表するアメリカの漫画家、アニメーション作家であり、世界的に有名なアニメキャラクター「ミッキーマウス」の生みの親にして、『ディズニーリゾート』の創立者である。
なお、上記では彼の事をミッキーマウスの生みの親と言ったが、実際に「ミッキーマウス」というキャラクターを作り出したのは当時アニメーターとして共に活動していたアブ・アイワークスだそうだ。
ウォルト・ディズニーは彼が作り出したアニメキャラクター「ミッキーマウス」をプロデュースするという形で貢献したのだが、世間的には「ウォルト・ディズニーのミッキーマウス」という風に定着している。
ディズニー社の従業員は「ミッキーの動きはアイワークスが、魂はウォルトが生み出した」と語っているそうだ。
さて、今回はこのようにウォルト・ディズニーについて私が知っている事や調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。
もくじ
ウォルト・ディズニーの基本情報
先ずは生誕や死没など、ウォルト・ディズニーに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。
・名前:ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)
・生誕:1901年12月5日 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
・死没:1966年12月15日 アメリカ合衆国カリフォルニア州バーバンク(65歳没)
・死因:肺がんの手術による合併症(肺炎)
・墓所:アメリカ合衆国カリフォルニア州フォレストローン・メモリアルパーク
・身長:175センチメートル
・配偶者:リリアン・ディズニー(m.1925-1966)
・子供:ダイアン・ディズニー・ミラー(実子)、シャロン・メイ・ディズニー(養子)
・性格:愛妻家、娘思い、ヘビースモーカー、ハードワーカー
ウォルト・ディズニーにまつわる話
第一次世界大戦
1914年6月28日に起きたサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発、その当時はまだ12歳だったウォルト・ディズニーだが、戦争が長引き16歳になると、愛国心に駆られた彼は高校と当時通っていた美術学校を退学し、陸軍に志願したそうだ。
しかし、余りにも若すぎたため、彼は兵士として前線で戦うのではなく、赤十字社の衛生兵として従事するように軍から説得され、これに従ったと言われている。
なお、彼の所属した衛生隊にはマクドナルドの創業者として知られるレイ・クロックもいたそうだ。
冷凍保存説
ウォルト・ディズニーの遺体が冷凍保存されているという噂は結構前からまことしやかに囁かれているが、彼の遺体は既に火葬され、遺骨はアメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデールにあるフォレストローン・メモリアルパークに埋葬されているそうだ。
なお、世界で一番初めに死亡後に遺体を冷凍保存された人物はカリフォルニア大学の心理学教授だったジェームズ・ベッドフォードだと言われている。
ジェームズは1967年1月12日に亡くなり、50年以上経った現在も冷凍されたままだそうだ。
手塚治虫
手塚治虫が宝塚の影響を受けていた事は周知の事実だが、宝塚以外にも多大な影響を受けていたのが当時から日本でも人気のあったディズニー映画の存在だった。
1965年にニューヨークで世界博があり、手塚治虫は新聞社の特派員として参加をしていたのだが、会場ではディズニー社も展示をしており、そこにはウォルトも居たそうだ。
長年憧れ続けてきたウォルトを目の前にした手塚治虫は興奮気味に彼に近寄り挨拶をしたという。
当時アメリカでは手塚治虫の代表作の一つ、『鉄腕アトム』が放映されており、ウォルトもまた手塚治虫と彼の代表作を知っており評価していたそうだ。
なので手塚治虫が自分が『鉄腕アトム』の制作者であると言うと、ウォルトは手塚治虫とその作品を賞賛したという。
なお、ウォルト・ディズニーが亡くなったのはその翌年の1966年12月15日である。
ミッキーマウス誕生秘話
冒頭で紹介した話以外にも「ミッキーマウス」に関する誕生秘話は幾つかある。
そこで、ここでは有名な誕生秘話を2つほど紹介していく。
先ず、一般的に市場に流通している商品にはプロトタイプ的な物が必ずあるが、実は「ミッキーマウス」にもプロトタイプ(原型/モデル)が存在する。
それは「オズワルド(オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット)」というウサギがモデルのアニメキャラクターだ。
出典 Wikipedia
上記のポスターは1927年に制作された『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』の第2作で、大ヒットした『トロリー・トラブルズ』のものであるが、彼が「ミッキーマウス」のプロトタイプである事は一目瞭然だろう。
なお、「オズワルド」の権利は1928年にディズニー社が当時契約していた映画会社のユニバーサル・ピクチャーズに奪われる形となったが、2006年にオズワルドの権利がユニバーサルからディズニー社に返還されたそうだ。
二つ目の誕生秘話は「ミッキーマウス」の名前についてだ。
ウォルト・ディズニーは初めミッキーの事を「モーティマーマウス」と名付けるつもりだったそうだが、「モーティーマー(Mortimer)」という単語が「悔しい思いをさせる」などという意味合いの単語である「モーティファイ(Mortify)」と発音などが似ている事から妻のリリアン・ディズニーに反対され、最終的に「ミッキーマウス」にしたと言われている。
なお、1936年の短編映画『ミッキーのライバル大騒動』にはミッキーの恋敵として登場したキャラクターに「モーティーマー・マウス」という名前が付けられている。
その後、モーティマー・マウスはアニメシリーズ『ハウス・オブ・マウス』などにも準レギュラーのような形で出演したそうだ。