ロック歌手 ジョン・レノンについて

ジョン・レノンは言わずと知れた20世紀を代表する音楽グループ、The Beatles(ビートルズ)のヴォーカリストギタリストである。

ビートルズ解散後はソロで、主に妻で音楽家の小野洋子おのようこと共に活動をし、1969年には「プラスティック・オノ・バンド」を結成し音楽活動を行っていたそうだ。

なお、音楽活動だけに止まらず小野洋子と共に平和運動家としても精力的に活動していたようだ。

今回はこのようにジョン・レノンについて私が知っている事や調べた事などを簡潔にまとめて分かりやすく紹介していきたいと思うので、最後まで楽しんで読んでくれたら幸いだ。





ジョン・レノンの基本情報

先ずは生誕や死没など、ジョン・レノンに関する基本的な情報を箇条書でまとめてみよう。

・名前:ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(John Winston Ono Lennon)

・生誕:1940年10月9日 イギリス・イングランド北西部マージーサイド州リヴァプール

・死没:1980年12月8日 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク

・死因:暗殺

・墓所:なし

・身長:178~179センチメートル

・配偶者:シンシア・レノン(m.1962-1968年)、小野洋子(m.1969-1980年)

・子供:ジュリアン・レノン(シンシアとジョンの息子)、ショーン・レノン(小野洋子とジョンの息子)

・性格:ミステリアス、ユニーク、ユーモラス、短気、皮肉屋、平和主義

・主な代表曲(ビートルズ解散後):『イマジン 1971年』『ハッピー・クリスマス(戦争は終わった) 1971年』『スターティング・オーヴァー 1980年』.etc.


ジョン・レノンにまつわる話

クオリーメン

クオリーメン」は「ビートルズ」の前身のバンドグループで、1957年にジョン・レノンが結成し、1960年に「ビートルズ」に改名したと言われている。

なお、バンド名の「クオリー」は当時彼が在籍していたクオリー・バンク校から来ているそうだ。

母親

ジョン・レノンの実の母親ジュリアは身持ちが悪かったため、彼は母親の姉で「ミミ(伯母おば)」と呼ばれたメアリー夫妻に育てられたそうだ。

しかし、14~16歳頃にジュリアが近くに住んでいる事を知ったジョンは頻繁に母親を訪ねるようになったそうで、当時の母子(ジョンとジュリア)の関係はおおむね良好だったと言われている。

そして17歳の頃に母親ジュリアが非番の警察官が運転する車にはねられて亡くなると大変なショックを受けたそうだ。

なお、ジョンにとって最初のギターは母親のジュリアが買い与えたものだと言われている。

暗殺

ジョン・レノンは1980年12月8日にアメリカ ニューヨーク州にある自宅アパートのダコタ・ハウスの前で夜11時頃にマーク・チャップマンに拳銃で胸や背中を撃たれて亡くなったそうだ。

なお、警察官が現場に到着した時にはまだ、かすかに意識があり、病院に搬送中に警官の一人が意識を保たせるために質問をすると「俺はジョン・レノンだ。背中が痛い」と述べたと言われている。

病院到着後は医師が心臓マッサージと輸血を行ったがジョンは既に全身の8割の血液を失っており、失血性ショックによって搬送先のルーズヴェルト病院にて息を引き取ったそうだ。

お墓

一説によると、ジョン・レノンの遺灰は妻である小野洋子によって散骨された、または友人、遺族で分け合ったなどと言われており、いわゆるジョン・レノンのお墓は存在しないようだ。

多くのファンはお墓参りの代わりに、ジョンの死後にニューヨークのセントラルパークに建設されたストロベリーフィールズという小さな広場、または彼が銃撃されたダコタ・ハウスを訪れるそうだ。


代表曲にまつわる話

『イマジン 1971年』

出典 Wikipedia

『イマジン』はジョン・レノンが作詞作曲を手掛けた彼の代表曲の一つである。

この曲は日本でも絶大な人気を誇り、彼の生誕70周年を記念してEMIミュージック・ジャパンのジョン・レノン日本オフィシャルサイトで行われた彼の楽曲人気投票では堂々の1位を獲得したという。

『ハッピー・クリスマス(戦争は終わった) 1971年』

出典 Wikipedia

この曲は反戦歌として制作されたクリスマスソングなのだが、リリース当初は大きなヒットにならなかったそうだ。

リリースが12月1日と、クリスマスの1ヶ月も前で「時期はずれ、早すぎる」と世間に思われたのが主な原因であると言われている。

なお、これについてジョンは「いつもの事ながら、ミスったね」と笑いながらコメントしたそうだ。

『スターティング・オーヴァー 1980年』

出典 Wikipedia

この曲は主に妻である小野洋子に向けたメッセージソングであり、ジョンはこの曲について「1950年代ロックンロールを、1980年代風にアプローチした曲だ」とインタビューで語ったそうだ。

なお、この曲はジョンの死後にチャートを駆け上がったそうで、ビルボード誌の集計によるとジョンのソロ曲としては、最大のヒット曲になったという。

また、全英でもNo.1を記録したそうだ。





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